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愛媛県四国中央市川之江町にある川之江城に行ってきました。
川之江城は私が子供の頃はなかったのですが(川之江の商店街で商売をしていたおじいちゃんとおばあちゃんがいたので年に何回か遊びに来ていたのでよく知っています。)、最近、川之江に住んでいるおじさんやおばさん、いとこに会いに来るようになってお城が出来ていることに気がつきました。
目次
川之江城と城山公園の山 四国中央市川之江町
城山公園の山と天守閣
国道を走っていると山の上にあるのでちょっと離れた場所からも見えます。
どうも地域振興や活性化を考えて作ったようです。
川之江城は小さい山の上に作ったもので天守閣へは徒歩か車で登っていきます。
私は60m程度の山なので徒歩で上がろうと思っていたのですが、駐車場が見当たらず、車でこの川之江城のある山の周りを車で進んでいたら、川之江城へ車で上がる道を見つけたのでそのまま車で上がることに。
車の登り口の看板
川之江城への道は対向車が来るとすれ違えないほどの幅しかなったですが、一方通行でしたので問題なく山の上にある駐車場まで進むことが出来ました。
朝の6時前でしたので、そんな時間に車で川之江城へ行く人はいないのかもしれませんが。
途中の道中や川之江城へ徒歩で上がる人と何人かすれ違いました。
この地元川之江町の住民のウォーキングスポットとなっているようです。
川之江城史
川之江城は南延元2年(1337年)伊予の豪族で南朝方の河野通政が讃岐の細川氏に備え、家臣の土肥義昌に命令して築かせた城になります。
この時、恵心僧都開基の仏殿と仏像を城内に運び、武運長久を祈願したことにより、仏殿城とも呼ばれました。
興国3年(1342)北朝方の細川頼春に攻撃されて落城し、細川氏の持城となりましたが、応仁の乱では、その余波を受けて攻防を繰り返しました。
その後、戦国時代では、河野氏と細川氏の和解により河野通直に城は帰され、通直は家臣の妻鳥友春を川之江城主としました。
その後、河野通直は河上安勝に命じて妻鳥友春を討ち、河上安勝が川之江城主となりましたが、天正10年(1582)長曾我部氏の再度の攻撃に敗れて落城。
その長曾我部氏も天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐に敗れ、小早川隆景、福島正則、加藤嘉明などなど、有名な戦国武将が川之江城主となりましたが、加藤嘉明が城主の時、川之江城は廃城となりその歴史を閉じました。
その後、川之江城跡は本丸天守台の下と本丸跡南側の2ヶ所の石垣のみになりましたが、川之江市は昭和59年から城山公園の整備に着手。
昭和63年に川之江城は完成しました。
なるほど、私が知らないのもよくわかります。
昭和63年は私が中学校2年生の時。
小学校を卒業してほとんどおじいちゃん、おばあちゃんの家に行かなくなったので知らなくて当然ですね。
駐車場
駐車場は山の上に10台以上のスペースがありました。
トイレ
トイレも完備されています。
駐車場に車を置いて、川之江城に進んでいきます。
川之江城の天守閣を観光 営業時間と料金
櫓門(やぐらもん)
まずは、川之江城の入り口に立っている、大きな門、櫓門(やぐらもん)を通っていきます。
涼櫓(すずみやぐら)
そしてすぐに涼櫓(すずみやぐら)があります。
この涼櫓は、花見のシーズンになると開放されます。
その中で中で宴会をすることができるのでお花見で利用する人は多いようです(8畳×2部屋)。
料金
1部屋
10時~ 1,000円 /h
16時~ 2,000円/h
※前日の17時までに予約が必要。予約は川之江庁舎2F 観光交流課まで(平日対応・電話予約不可)
新年度(4月1日以降)分は3月1日8:30からの受付。
天守閣
更に中に進むと天守閣があります。
近くで見ると大きく壮大な建物です。
天守閣は見学する事が出来ます。
1階から3階までは展示室。
4階は展望台となっています。
4階から見る川之江町の景色は格別なものです。
海や山や街並みを見渡すことが出来ます。
トイレ
天守閣付近にもトイレがあります。
営業時間
開城時間:9:00
閉城時間:16:00
料金(入城料・見学料)
大人:100円
小中学生:50円
団体割引あり(30名)
休み(休城日・休館日)
月曜日 ※祝日のときは翌日
10/14~15、12/29~1/3
この川之江城の天守閣付近にはいろいろな石碑があります。
鎮魂の碑
白木 豊氏の歌碑
尾藤二洲氏の歌碑
城山広場にある梅花を漢文で詠った尾藤二洲氏の歌碑。
平和の像
たくさんのお花見客で賑わうのは、この平和の像がある二の丸です。
進藤正吉翁之像
徒歩ルート
川之江城天守閣へのアクセスできる歩道はいくつかルートがあるようです。
毎日ルートを変えて健康のために歩くことも出来ますね。
尾藤二洲先生記念碑頌徳碑
川之江城の天守閣を見て車で帰るルートで尾藤二洲先生記念碑を見つけました。
尾藤二洲(びとう にしゅう)は寛政の改革を推し進めた老中の松平定信により、幕府の学問所である昌平黌教授となり、約20年間にわたり、朱子学を再び盛んにすることに努力し、柴野栗山や岡田寒泉とともに寛政の三博士と呼ばれた人の様です。
川之江出身の偉人ですね。
川之江城
住所 愛媛県四国中央市川之江町1087-4
問い合わせ先
0896-28-6267(川之江城天守閣)
0896-28-6187(四国中央市役所観光交通課)
開城時間
9:00~16:00
定休日
月曜日(祝日の場合、翌平日)10/14~15、12/29~1/3